苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれで、あなたのおきてを学びました。
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
私はそれで、あなたのおきてを学びました。
父や母に「苦労は買ってでもせよ」と教えられたことを思い出します。
苦労や苦しみというものは、本来、喜ばしいものではないのですが、しかし、そのような苦しみからしか
得ることができない豊かな財産があるという意味が込められているのでしょう。
苦しみに会わないようにと、一生懸命神頼みをするよりも、苦しみにあっても、そこから大切なことを学ぼうとする生き方のほうが、積極的な生き方と言えるのではないでしょうか。
これは聖書の中の一節です。
私たちは、苦しみに会ったことは不幸なことであると結論づけてしまいがちですが、そう早々と人生の幕引きを
する必要はないのです。
次の詩は、今から百年ほど前のある外国のクリスチャンのものですが、大変教えられるものです。
大きなことを成し遂げるために 力を与えて欲しいと求めたのに
謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった
偉大なことができるように 健康を求めたのに
よりよきことをするようにと 病気を賜った
幸せになろうと 富を求めたのに
懸命であるようにと 貧困を授かった
人々の賞賛を得ようと 成功を求めたのに
得意にならないように 失敗を授かった
求めたものはひとつとして与えられなかったが
願いは全て聞き届けられた
私は最も豊かに祝福された者だ
また次の詩は、病の中でうたったのでしょうか。日本の河野進牧師の詩です。
病まなければ ささげえない祈りがある
病まなければ 信じえない奇蹟がある
病まなければ 聞きえないみことばがある
病まなければ 近づきえない聖所がある
病まなければ 仰ぎえない御顔がある
おお 病まなければ 私は人間ですらもありえない
人間は、大変罪深い者で、自分の幸せのためには、神さえ利用しようとするのではないでしょうか。
出産が近づけば「安産の神」を利用し、受験が近づけば、「学問の神」と、神さえも自分の幸せの道具に使い、
神を自分に仕えさせているのです。
そのような御利益を求める人間の欲望が、何の根拠もない迷信や宗教に陥る根拠となっているのです。
人を大きくするのは試練であり、苦しみです。苦しみから学ぶ積極的な生き方のガイドブックが聖書なのです。
グレース神戸バプテスト教会牧師
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